「意味」を売る企業になるには、何からはじめるべきか
みなさんこんばんわ。中小企業診断士の高島です。
昨日こんな記事を書きました。
機能で付加価値をつけることが出来なくなったら、「意味」で付加価値をつけるしかない。
これはつまるところ、
選ぶ理由「好きだから」
を作る事になります。
それは、そうだと思いますが、これは狙って作れるものなのでしょうか。
私は、10代~20代の頃売れないミュージシャンをしていました。
その頃毎日のように「あのバンドのようなカリスマ性が欲しい」と考えていました。
でも当然、そんなのなれるわけがありません。
服装を真似しても、音楽性を真似しても、所詮ただのモノマネにすぎません。
どうすればよいか分からなかったので、ChatGPTに聞いてみました。
ランボルギーニのような、機能ではなく意味で売るブランドを作るにはどうすればいいでしょうか
ランボルギーニのように「機能ではなく意味で売るブランド」を作るには、以下のような戦略とステップを実行することが重要です。これは、ブランドの物語や価値観を中心に構築するアプローチです。
1. ブランドのコアメッセージを定義する
- **「なぜ存在するのか」**を明確にする:ランボルギーニの場合、「スピードや性能だけでなく、究極の自己表現や成功の象徴」がその意義です。
- あなたのブランドにとっての哲学やビジョンを定義し、共感を生む物語を作る。
2. ストーリーテリングを活用する
- ブランドの誕生やビジョンを語る「感動的な物語」を作る。
- ブランドが目指す理想や、製品の背景にある哲学を顧客が理解しやすい形で発信する。
「なぜ存在するのか」
弊社の企業理念は、「小さな会社の大きな夢を現実にする」です。
ブランド誕生(そんな大袈裟ではないですが)のきっかけは、私自身の経験からです。
私は、先にも書きました通り10代~20代のほとんどをミュージシャンとして過ごしました。
大学を卒業後、就職氷河期の中、上場企業の内定を奇跡的にもぎ取り入社しましたが、音楽の夢が諦めきれず、2年半で会社を辞め、ギターとリュックだけもって海外へ飛びました。
その後、たまにある演奏の仕事や、結婚式などパーティーDJ兼音響、作曲の仕事などでちょこちょこお金を稼ぎながら、実家に住むという、まぁだいぶアレな20代を過ごしました。
転機となったのは、30歳を迎える直前です。その頃、それまでの活動が実を結び、当時の自分としては大きなプロジェクトに参加することになりました。
それまでどちらかというとバイトの方がメインでしたが、これで晴れてクリエーターとして開業届を出そうと考えていたところでした。
ところがです。
2011年3月11日 東日本大震災が日本を襲いました。
私が住んでいた埼玉県はそこまで大きな被害には合わなかったのですが、その週に予定されていた渋谷の大型クラブを貸し切ったイベントは安全確認のためキャンセルになりました。
それだけではありません。もう覚えている方もすくなくなったかもしれませんが当時の風潮は
「娯楽の自粛」
でした。
東北でなくられた方、行方が分からない方、苦しんでいる方が大勢いる中、楽しい想いするなんて不謹慎だ、ということからありとあらゆるイベントが中止になりました。
当然大型プロジェクトも吹っ飛びました。
正直完全に心が折れました。苦節15年。ようやくチャンスが目の間に現れたのに、それが全部吹っ飛んでしまった。
しかも今後どうなるか分からない。当時は、余震が毎日のように続いていましたし、原発のニュースは収束のめどが見えませんでした。
30歳を迎える手前で、音楽をあきらめることを決意しました。
そこからあらゆるコネをつかって職を手に入れたのですが、30手前まで定職につかずにふらふらしていた男です。サラリーマンになれただけでもありがたく、条件など贅沢なことは言えない状況でした。
とはいえ、実家に暮らしていましたし、独身で家賃が無ければ、不自由なく暮らすことが出来ました。
転機になったのは結婚でした。
家庭を作っていくにはやはりお金が必要です。そして私たちはどうしても子供が欲しかった。
しかしどんなに計算しても、今の年収で子供を育てるなど、現実的ではありません。そこで一念発起して中小企業診断士の試験を受けます。
この資格を使って転職を試みますが、あえなく失敗に終わります。こちらについては、この記事をご覧ください
#1 中小企業診断士独立前夜 240万円が妥当かな - 中小企業診断士合格してすぐに独立したけど丸7年やってこれた話
その後、独立することを選びますが、コネも、実績も、実力も、お金もない中で仕事を獲得するためには、それこそありとあらゆる失敗を重ねる必要がありました。
泥臭く、ボロボロになりながらも一歩一歩進んで、たまに戻ってを繰り返して、何とか仕事をもぎ取り、実績を重ね、進んできました。
しかし、その結果、生活を変えることが出来ました。
この日本において、一度レールを外れてしまった人間が、「雇用」という形で、平均年収までたどり着くことはかなりのハードモードです。(というか私にはできませんでした。)
しかしながら、独立であれば、努力次第で自分の人生を変えられる。
足が震えながら独立した
小さい会社である私にとって、「家族に人並みの生活をさせたい」という大きな夢を叶えられた経験で、同じような境遇で苦しんでくれる方の力になりたいというのが、私の実話であるストーリーです。
これでブランディングに近づいているのかわかりませんが、まずは第一歩として、2番目までやってみました。引き続き「意味」を売る企業について研究を行っていきます。
本日もお読みいただきありがとうございました。