無事、実務補習、実務従事を終えて登録に必要な3社15日以上という条件をクリア
いよいよ本格的な独立準備に取り掛かる
この時4月。当時勤めていた会社に6月末での退職の意向を伝えた
「引継ぎもありますので、有休消化のために最後の月はまるまる来ないとかはしません。
その代わり突発的な休みが発生する可能性がありますので、その点はご容赦ください」
というわがままにもほどがある交渉だが、承諾を得た。
多少のひきとめ的なものはあったけれど、大したことはなかった。
この時、正直私の居場所は会社に無かった。
色々やらかしたからなのだが、その件については、また別の機会にでも書こうと思う。
引継ぎはしっかり行ったと思う
当時マニュアルとか全くなかった会社で、誰が見ても同じようにできる業務マニュアルを必死に作った
会社への恩返しの気持ち半分と、こういう業務も独立後役に立つかもという下心半分である。
むしろ退職を残念がってくれたのはお客さんたちだった。
多分冗談だと思うが
「独立失敗したらうち来いよ!」
これには本当に涙が出そうだった(これ中小企業診断士受験前に言われてたらマジで転職してたかも)
独立まで2か月 とにかく受注を目指して動き出す
まず取り組んだのは受験校での講師業
今は多くの予備校があるから、もしかしたら人手不足なのかもしれないが、
当時は非常に狭き門だった
独学の自分が採用されるわけはないと思いながらも
これくらいの無理がこじ開けられないなら独立しても営業なんてとれない
という気合でオーディションに臨んだ
塾講師の経験もなければ、セミナーとかの経験もない。小さい会社だったから社内のプレゼンテーションとかの経験すらなかった。
あるのは気合だけである。
しいて言えば、一応元ミュージシャンとして、人前に立つという経験だけは多分他のオーディション参加者以上にある。
知識はない。しかし
とにかく自信をもって堂々と行えれば、勝ち目はあると踏んでいた
「自信をもって堂々と」
簡単なようでかなり難しい
これを実現するポイントは、自分のリソースの全てを「伝える」ことに集中すること
当たり前に聞こえるかもしれないけれど、これをできているスピーカーは思いのほか少ない
例えば「テキストを読みながら伝える」 これでは、目というリソースの半分以上を受講者に向けられない。
下を向けば声のトーンもこもって聞こえづらくなる。
受講生の目を見ないと、話しているスピードが速いのか、遅いのか。話している内容がわかりやすいのか、そうでないのか。が判断できない。
これを実現するために、テキストの文章は全て暗記した。自分でテキストを読んで録音して、通勤中や空き時間ずっと聞いてシャドーイングした。
驚きだった。理解度が全然違う。受験生時代からおこなうべきだった。
テキストを話していると、聞いている人がわかりにくいだろうなっていう部分すらも立体的に見えてくる。そうするとどう補足すればいいのかも見えてくる。
私は受講の風景を見たことがないから想像するしかないが、おそらく社会人が仕事終わりに通う予備校、または土日に通う予備校。モチベーションは高くても、集中力はある程度しか持たない。
話すスピード、例の入れ方、間の取り方、ノイズにならなくかつ注意をひく体の使い方
妻を相手に毎日1LDKの狭い狭い教室で伝え続けた
オーディション当日
これだけ準備したら緊張なんてしない
と思ったけれどめちゃくちゃ緊張して早口になったり、言葉に詰まったりもした
それでも全力は出せたと思う
たった15分の模擬講義だったけれど、歩けないくらいに疲れて帰った
6月に入った
今月で退職となるが、見通しがあるわけでは全くない
それでも失業手当は申請しないと決めていた
退職と同時に開業届けを出す
死に物狂いで1年間頑張って
それでもだめならまた必死に仕事を探せばいい
「240万円が妥当ですね」
8か月前のあの言葉が胸をかすめる
そんな夜、受験予備校からメールが来ていた
「・・・貴殿は 合格 されました、つきましては、、、、」
受かった 受かっちゃったよ
信じられない気持ちと首の皮一枚つながった気持ちが入り混じる
とりあえず「無収入」ではない
1年目は担当する科目もコマも少なく、当然これだけで生活できない
それでも収入があるのと、ないのでは、天と地ほどの違いがある。
妻と手をとり踊った
ただまだこれでは生活ができるレベルではない。とにかく独立したら毎日のように営業をして受注しないとならない
でも何を?
何にも実績がない自分が何を受注できるのだ?
自分のビジネスも定まらずもんもんとする中、勤務最終週がやってくる
ここまでくると、もはや自分の担当仕事などなく雑用を行っていた。
電話番や、コピー取り、デスク周りの掃除 まるで新入社員のようだった
不安が大きくなっていく
本当に俺は何ができるんだろうか。
昼休み、喫煙室でスマホを取り出すと留守電が入っていた
留守電?
見たことのない番号である なんかの勧誘だろうか
「・・・です。よろしい時に折り返し下さい」
!
!!!
実務補習の先生からである。
もしかしたら、、、
いや焦るな、がっつくな
恐る恐る折り返しをかける
「高島さん?じつは仕事が立て込んでしまって、よかったら手伝ってほしいんだけど」
!!!!かかった!!!(超失礼)
これを期待してあの2週間を過ごしたのだ
「時間があるときに打合せしたいんだけど、いつ空いてるかな」
即答した
「90分後に伺います!!!!」
少しでもレスポンスの早さを見せつけたかった
上司のデスクに飛んで有給届を提出した
たった一人いつも応援してくれていた先輩が
「俺から話しておくからとにかく行きな」と言ってくれた
最期までかっこいいなこの人は
40秒で荷物をまとめて、オフィスに向かっていった
「お先に失礼します」
会社を飛び出した
地下鉄の駅まで急ぐ
早く 早く
音楽の道を諦めてサラリーマンになった
妻と出会って結婚した
悪い4年間じゃなかった
改札を抜けて丁度来た地下鉄に乗り込む
早く 早く
独立も本当にしたかったかと言われたら何とも言えない
ミュージシャンだった頃 「どこにも属していない根無し草」
という響きに酔う半面、不安で仕方なかった
上野駅で乗り換えJRへ
早く 早く
1年間、仕事帰りは上野駅始発列車で座ってかえって電車の中で勉強した
合格後はひたすらビジネスの可能性を探していた
中小企業診断士って独占業務ないんでしょ?仕事あるの?
何十回と聞かれた
俺自身まだわからない
でも今日の電話で確信した。集まる所には仕事が集まっている。あとは本人次第だ
先生のオフィスの最寄り駅に着く
ここからオフィスまではバスで10分程度だ
実務補習の時は少しでも節約したくて、片道30分の道を歩いた
今回は バスか? 徒歩か? 時計を見る オフィスを出てからまだ60分しかたっていない
迷わずタクシーに乗った
タクシーなんて正直この4年間乗ったことなかった
タクシーに乗れるのなんて大金持ちだけだと思ってた
今は1分でも惜しい
予定より早くオフィス前に着いた
息を整え、ネクタイを締め直す
震える手でインターフォンを押した
「、、、はい」
先生の声が聞こえる
「高島です!中小企業診断士の高島です!!」
そしてトビラがひらいた
~~
本日もお読みいただきありがとうございました。
独立前夜シリーズの最終回となります
役に立つ内容か?と聞かれると何とも言えませんでしたね。すみません
でも、独立を目指している方には何かしら気づきがあってくれたらいいなと思います。
当時の自分を振り返ると、とにかく真剣でした
緩さというものがまるでなく、それはそれで余裕がないということですから問題なのですが
それでも、少しでもチャンスがないか。チャンスがあるなら果敢に挑戦する。挑戦するなら全力を尽くす。ということを徹底していた気がします。
あれをもう一度できるか?と聞かれるとやはり若さというモノもあるのかもしれませんが
当時妻が妊娠していたこともあり、
何とかしなくては
という気持ちに押しつぶされそうでした
その不安を忙しさでかき消そうとしていたのだと思います。
7年たった今断言できるのは、中小企業診断士は稼げます。
今の皆様の年収は分かりませんから、その立場によって稼げる、食べれるという水準は違うと思います。
しかし、現在子供2人いても生活できていることを考えると、私にとっては十分です
上の世代がチャンスを独占しているとかそういうこともなく、今から参入しても十分戦えるそんな市場です。
私がTwitterで発信しはじめたのは、7年前の自分のような人を応援したいと思ったからです
簡単ではないけれど、覚悟も努力もするうえで一発逆転を狙うなら、本当によい資格だと心から思っております。
零細企業のサラリーマンのつらさを身に染みて分かっている
本気で中小企業を変えたい、働き手も幸せになれる会社にしたい
そんな志が高い皆様と一緒に仕事がしたい
そんな思いで発信を始めてまいりました
今後も不定期となりますが、少しでも独立の参考になる情報をお伝えしたいとかんがえておりますので、よろしくお願いいたします。