強みと専門性 後半 中小企業診断士独立

独立1年目

あらすじ 

中小企業診断士として独立したものの、全く受注が取れず、未来も見えない。

そんな中

自分の専門性を従業員5名以下の小規模企業に決意した

さぁ後編行ってまいりましょう

〜〜

自分の強みから専門性をきめたからと言ってすぐに専門家になれるかと言われたら、当然そんな訳がない

そこで仕事以外の時間はほぼ全て図書館に入り浸った

県立図書館にビジネス支援室というものがあり、ビジネスの本がめちゃくちゃあった

そこで個人、フリーランサーが多いであろう職種を選び、開業本を徹底的に読んだ

手順は実務補習と一緒だ

擬似的に自分で創業するのである

創業するには資格が必要か?

店舗は必要か?必要ならいくらお金がかかるのか

次にその業界の雇われの平均年収を調べる

例えば美容師であれば独立時どのくらい貯金があるかを予測し、借入金額を割り出す

店舗を作るとしたらどこに相談する?どうやって良い業者かどうか見極める?

設備はどうする、プロモーションは?

こんなんを朝9時から閉館までやってる

多分周りからは必死に美容室開業を目指している青年に見えたと思う

司書さんとも顔見知りになった

司書さんにも勘違いされていたようで、次に自分が飲食店をおんなじ勢いで調べ始めたとき

「夢を諦めちゃうんですか?」と聞かれた

そこで

「私は中小企業診断士という仕事をしていまして、、、」

とお話しをしたら

めちゃくちゃ興味を持って頂いて、資料探しを手伝ってくださった

司書という仕事は非常に誤解されている

私も失礼で無知なので、貸し出し、返却の作業をされている方という印象だった

それも大切な仕事だが、それは超一部分に過ぎない

司書は、その名の通り

書を司るもの

資料や本を調べるエキスパートだ

何を調べたいならこの本

というのを膨大な知識から選んでくださる

本使いである

カッコ良すぎる

この超心強いアドバイザーを得た事で情報収集能力が格段にあがる

そして創業関係で支援が多い

居酒屋 カフェ レストラン 美容師 理容師 リラクゼーション ネイル マツエク 一人親方 木工職人 自動車整備 など片っ端なら調べた

妻がネイリストだったことも幸運だった

ビューティーワールドや商材のカタログなども生で見られたことでより知識が増えた

何種類もやっていると段々スピードが上がってくる

業種は違えど、経営には当然共通点がある

受験生時代に覚えたワードが、知識として頭に入ってくる

現場の知識を体系立てて、わかりやすくしたのがあの7つの知識なのだ

ここで得た知識により格段にコンテンツがブラッシュアップされていった

個人起業のための集客方法

とか

個人起業の銀行さんへの資料作り

など個人起業に特化してコンテンツを作っていった

このコンテンツを武器に商工会、商工会議所に営業して回った

結果はどうだったか

全く反応がなかった

では何かありましたらご連絡いたします

やはりそんな甘くはない

そんなある日お手伝いをしている先生が創業セミナーを受注し、私も当日のお手伝いに参加する

創業セミナーではワークをやらせることが多い

事業計画の元になるようなネタを書いていただいていく

ただし、ほとんどの受講生が事業計画など書くのは初めてで、なかなかペンが進まない

そのサポートをするのが私の仕事だった

水を得た魚とはこのことをいうのかも知れない

シミュレーションとはいえ、図書館で何度も何度も創業していたため、さまざまなアドバイスが出来た

店舗選びや立地、オープン時のマーケティングなど様々だ

受講生からも

「先生めちゃくちゃ詳しいですね。」

「この業界の経験者ですか?」

などと言ってもらえた

嬉しい

語彙が全く足りない 

この嬉しさをどう表現したらよいものか分からなかった

この様子を見てくださっていた先生から

「高島さんも最後5分くらい話してみる?」

と驚異的なお話しを頂いた

やります!

二つ返事で答えた

準備はしてある

いつでも話せるように

5分 15分 のトークや、パソコンも使わなくても持ち歩いており、プロジェクター繋げば2時間までならフルでセミナーできるコンテンツすらある

いつ陽の目を浴びるかわからないセミナーを沢山作ってあった

先生の事務所に向かう片道30分

歩きながらいつも練習していた

千載一遇のチャンスだ

商工会の人も見ている

もしかしたら仕事を頂けるかも知れない

失敗できない

その時、ふっとカリスマ講師の姿が頭によぎった

どう見られるか

じゃない

受講生に何を見せられるか

先生から

「高島先生からも最後メッセージを頂きましょう」

先生から初めて 高島先生 と呼ばれた

呼吸が浅くなる

深呼吸をして、マイクをお預かりした

ゆっくりと話し出す

「皆様今日はお疲れ様でした

はじめにお伝えすると、私も実は一年目です

でも脱サラするのは2回目なんです

昔、夢を目指して、脱サラして、その時は本当に何もわからなくて

どうしたら成功できるかと先輩に聞いて回ったら

応援されること

と先輩達みんなに教えて頂きました

その時私は、生意気にも

何を精神論を、そんなん当たり前じゃないか!

となんて思ってしまいました

最低です

今なら分かります

そんな話を少しだけさせてください

皆様はどんな人にどんな価値を提供したいですか?

これに答えられないとするならば

あの時の自分と同じになっちゃう可能性があります

誰かのこんな悩みを解決したい

誰かのこんな願望を叶えたい

この想いに必死になるから共感を生み、応援されます

昔の自分は 

有名になりたい

好きな音楽で食べていきたい

と、主語が私でした

これで応援されるわけがありません

今思えばそりゃあ成功しないよねという感じです

今日の講義にあったマーケティングの話

ターゲットは簡単に言えば、皆様がお役に立ちたい人です

提供価値は、その方達の悩み解決した先に、みせてあげられる未来のことです

そして、そのために何を工夫するのか?どうやるのかを考えるのが提供技術です

この誰に、何を、どうやって、をコンセプトといい、

ここを真剣に、

覚悟をもって

一生懸命努力することでブランドが生まれ

応援されます

是非一緒に頑張りましょう。

私は皆様を全力で応援しております

ありがとうございました」

こんな内容だった気がする

なんか自分に向けて話している感覚だった

どっと疲れた

その日から数日

また変わらない日常が続いた

先生のお手伝いをしている時、先生にセミナーを行った商工会から電話があった

先生が電話の途中で私の方に振り返り

ゆったり言った

セミナー受講生で高島さんの支援受けたいって問い合わせがきたらしいけど受けるかい?

どんっ

すごい衝撃である

子供の頃ライナー性のボールが胸を直撃したドッジボールを彷彿とさせる

息ができない 

座りこみそうだ

い、いいんですか?直接受けてしまって?

もちろん!

ありがとうございます!

ありがとうございます!!

ありがとうございます!!!

もちろん先生がいてくださったからの受注であるということは間違いない

しかし

どんな形であれ、直接受注をしてしまった。

もちろん全力で準備にとりかかる

公的診断のフィーは確かに顧問契約とかに比べたら高いとは言えないかもしれない。

2時間の拘束と考えたら割はいいけど、その準備や調査などに時間をかけてしまったら、、、

という形である。

でもそんなの関係ない

時給が数百円になろうが、関係ない。

楽しくて仕方なかった

今自分はお金をいただいて「コンサル」をしているのである

図書館での調査も力が入る

アウトプットが前提のインプットはいつも以上に吸収力が高かった

初回面談の前日は緊張で眠れなかった

目を閉じると翌日のことを何度もシミュレーションしていた

ドキドキが聞こえてしまいそうな初回ヒアリング・提案

そこから数回の面談があり、毎回レジュメを作り、実際にブログ記事の書き方なんかも考えた

そして最後には

「高島先生に頼んでよかった」

と言っていただけた

泣いてしまおうかとも思ったけれど、

「まだまだこれからです!いつかまたお手伝いしにきます!」

といって元気に別れた

商工会の方からもお礼を言われた

そこからは堰を切ったように受注のラッシュ!!

ということにはもちろんならず

少しずつ

本当に少しずつ

口コミが広がっていった

ホームページは開設したけと、運用がわからない

そう言えばブログが得意な診断士がいたな

音楽教室を開きたい

そう言えば元ギター講師の診断士がいたな

なんてちょっとずつ認知が広がって

半年くらいして

小規模事業者が専門の先生と紹介されまして

というご連絡も頂くようになった

開業から2年がたったころには、予備校講師も含めて、生活ができるくらいまでにはたどり着いた

そして

バブルがやってくる

〜〜

本日もお読みいただきありがとうございました

私が初めて専門家派遣を受注したのは確か独立から半年以上後だったと思います

最近のTwitterの方々を見てると、独立した月に受注している方も多く、本当にすごいなーって感じます

当時は私ですら若すぎると言われる部類だったのに20代の方でもバンバン受注している

とんでもない才能と努力の力をもった方々だなと日々尊敬と羨望のまなざしで見ています

私はそれに比べると本当にゆっくりとしか進めませんでしたが、

それでもあの「仕事ができなかった時期」を経験できたのは大きな財産だったなと考えています

後にも先にも

あんなに図書館にこもってひたすらに経営を、特にマーケティングを勉強した時期はありませんでした

あの時の知識が今でも財産になっていることを考えると、すぐに売れなくてよかった

なんて半分負け惜しみですが、半分は本気で思っています

もし、いまこのブログをお読みの方で、

なかなか売れない

同期はどんどん先をいくのに

もしかしたら自分はダメなんじゃないか

とお感じの方がいたら

是非、こんな男がいたことも思い出してください

チャレンジして

受け入れられなくて

そんな中から覚悟をもって

びくびくおびえながら専門性を決めて

一心不乱に研究した結果、チャンスを掴んだ男がいたことを思い出してほしいです

皆さんは絶対に成功できる力を持っています

心から応援しています

ありがとうございました。

タイトルとURLをコピーしました